◆彼女は賢い;トートロジズムをぶっ飛ばせ
「彼女は賢い」の彼女を主語と認めない一派
「彼女は賢い」の「彼女」は主語ではないとする一派があります。
その理由をchatGPTで聞いたところ
「は」はトピック(主題)を示し主語を示すものではない。
と回答がありました。
それは『彼女は賢い」の「彼女」は主語ではない』の「主語ではない」を「主題を示すものではない」と言い換えているだけで、なぜ「主語を示すものではない」かを述べなければ意味をしません。
なぜ「主語を示すものではない」かとしつこく問うと「は」は主格助詞ではないから。
なぜ主格助詞ではないかと問うと、主語を表さないから。
という完璧なトートロジー
「彼女は頭がいい」の「は」と「が」
文中には主語は一つであるべきで、「彼女は頭がいい」には「彼女」と「頭」の2つの名詞があり、どちらかが主語である。
「が」は主語(agent)を表す。従って「は」は主語を表さない。
それは 「は」でも成り立つのではないか、と問うと。主語の要件は次のものである。
- Spec-TP(Tense Phraseのspecifier)に現れる要素であり
- 主格(nominative)を取り
- 動詞と一致する(agreement)
「は」は主格(nominative)を取りをとらないので「は」はこの要件を満たさない。
「は」はなぜ主格(nominative)をとらないか、と問うと
「は」は主題(topic)を表し主語(agent)を表さないから
という完璧なトートロジー
「彼女は(頭がいい)」の階層と主語
「文中には主語は一つであるべき」を認めるとしても、「彼女は(頭がいい)」は階層化した論理となっており、それぞれの階層には主語(相当)のものは一つではないか、と問うと。
チョムスキーの「生成文法」は言語の論理階層は想定せず、意味を平坦なシーケンスに展開することを主眼としている。
したがって、「彼女は(頭がいい)」は「彼女」か「頭」が主語であり、「いい」に近接する「頭」を主語とするのが正しい。
「彼女」は言語的な文本体の構文構成要素ではなく、言語外の主題と見做せる。
意味論的には「彼女」は主語と言えても、それは言語/文としては成立していない。従って構文と見做せるのは「頭がいい」部分のみ。
というあきれ果てた説明がなされました。
なぜ「彼女は(頭がいい)」という論理階層構造を無視するのか?と問うと
言語は階層構造をとらないから。
言語が階層をとらない理由は主語が一つに限られるから。
主語は一つなのでそれを主体とする論理は階層化しない。
という完璧なトートロジー
学者はなぜこの明らかなトートロジーに固執するのか
学者はなぜこの明らかなトートロジーに固執するのか?と問うと
✅ 結論:見過ごされている理由
多くの学者は「定義により主語を与える」→「定義に合致するから主語と認定する」という循環論法に陥っている。
特に構文理論(文の構造)と論理構造(意味階層)を区別しないまま、「主語とは何か」を議論しているため、そこに気づかない。
一般には、トートロジーと認識する訓練が十分でないことも背景にあります。
という「結論」を出してきました。
まあ、論理階層を表す言語(日本語)があることをチョムスキーは認識しておらず、それに則った理論を、日本の学者達は無批判に受け入れてしまった、という事なのでしょう。
「XはYがp」という階層化した論理文を英語ネイティブの日本語学習者であっても容易に理解できるのに、チョムスキー派というべき日本語学学者は理解できないというのは「勉強のもたらす害」あるいは「権威のもたらす害」を示しているのでしょうね。
次の回答もありました。
教育制度と研究文化の保守性
大学・研究機関の中で、**理論の「継承」>「再検討」**という傾向が強く、
新しい構文理論や独自の理論枠を提示するより、既存理論の上で「修正」する形が推奨されやすい。
よって、「論理階層性を取り込んだ構文モデルをゼロから立ち上げる」ような試みは、若手にとってリスクが高い。
この辺りがトートロジーを良しとするトートロジズム(tautologism)が払拭されない理由でしょう。
主語と構文木と平坦化(予告)
「主語」の暗黙の認識がチョムスキーの「生成文法」における構文木と平坦化にあり、これを無視しているからトートロジーに陥っているのではないかという話は、明日の心だ。
chatGPTでどこまで調べられるか?
chatGPT自体は考える能力を持っている訳でななく、あくまでネットで得られる情報を、それっぽく纏めてくれるだけです。
例えば「彼女は賢い」を解析し『「は」が表すのは主語ではない』というのがトートロジーだと解析しても、「彼女は頭がいい」ではまた『「は」が表すのは主語ではない』といい、矛盾を突くとトートロジーだと答えます。
対話中に結論が変わってきますので単純にネット上の記述を垂れ流すのでないことは明らかですが、答えがどのくらい信用できるかは、利用者が十分考える必要はあるでしょう。
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