◆elephant trunk longは理解不能か?
片言英語「elephant trunk long」の論理は理解不能か?
象は鼻が長いは不自然か
普通の日本人にとって全く不自然さのない文「象は鼻が長い」は何故か言語学を学んだ日本語学者には不自然で理解不能の文となるようです。
インドヨーロッパ語族の文法でいう「主語」が分からず、論理構造が破綻しているというのです。
次のような片言の発話を考えてみます。
「elephant 、trunk long」 (elephant:象、trunk:鼻、long:長い)
日本語話者であれば問題なく論理を理解すると思います。
英語話者でもこの論理、「象について述べており、鼻が長いと言っている」を直ちに理解するのではないでしょうか?
もしそうなら、この文「elephant trunk long」には人間が論理を理解する上での問題点はないと言えます。
(「象の鼻」について「長い」と解釈される可能性もあります)
おそらく人間はこういう構造化された論理構造表現を理解する仕組みを頭の中にもっています。
残念ながらインドヨーロッパ語にはそういう構造を表す文法が用意されていないだけです。
日本語にはこの論理構造を表す文法が用意されています。
elephant は trunk が long.
日本語学者が普通の日本語を理解できなくなる理由
日本語学者は日本語を「分析」しようとしているのではなく、「勉強したインドヨーロッパ語族言語学の知識に当てはめよう」としているだけです。
とても心配しているのが、日本語学者が一般の日本人に比べ、日本語能力が劣っているように見える点です。
知識はあっても言語能力の根本部分が歪められ劣化してしまっているため、普通の日本語が彼らには不自然に思えてしまう。
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