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◇∀象∃鼻 長い : 象は鼻が長い

 誰が言ったか「象は鼻が長い」

この「象は鼻が長い」という例文を思いついたのは多分三上章氏で、ずばり「象は鼻が長い」という本がありました。
第1刷が1960年、現在第36刷という歴史ある本です。

著作集という形なので本人がこのタイトルを付けた訳ではないかも知れません。
とはいえ、この本の中で最初の具体例が「象は鼻が長い」なので、象徴的な文ではあります。

三上章氏の日本語論は「三上文法」と呼ばれているようです。

 でも、そもそもアプローチが間違っていると思う

本の中では多くの文を挙げ、要素の置き換えなどを行い「ハ」「ガ」の本質に迫ろうとはしています。

しかし、捉え方の根本、アプローチが間違っているとしか思えません。

「は」「が」はごく基本の論理学的表現です。

xΡ」は「xに関してΡが成り立つ」という意味です。

同様に「xΡ」は「xに関してΡが成り立つ」という意味です。ただし、 「は」とは少し異なる目的で用いられ、論理の結合にも若干の差があります。

「は」と「が」の違いに関しては ◇命題構文(概念構文)と陳述構文:「が」と「は」で述べました。

少し論理学に振った見方を ◆「χはΡ」: χに関してΡが成り立つ で示しました。

ちょっとした例を捉えたものを ◇「空が飛べたら」は正しい。間違っているのは主語論 に置きました

 なぜ日本語学者は論理学方向のアプローチをしなかったのか?

言語学と論理学というのは重なるところの多い学問だと思うのですが、日本語学者は論理学方向から探った形跡がありません(註:調べれば見つかる知れませんけど)

多分数学者に対して「象は鼻が長い」を解析せよと言ったら、なんの疑問もなく「象に関し(鼻に関し長いが成り立つ)が成り立つ」とみなしたと思います。

例えば、「∀象∃鼻 長い」という解析をしたのではないでしょうか?

言語学はインドヨーロッパ語族のものがベースとなっており、「は」や「が」に相当するものは存在していません。別のものがその機能を果たしている訳ではなく「存在していない」のです。「僕は行く」の代わりに「僕行く」というのがインドヨーロッパ語族の文法です。その中で「は」「が」の解析をするのは、勉強していない人間には当たり前で簡単なことでも、勉強してしまった人間には難しいのかも知れません。

 「象は鼻が長い」はよい例文か

◇命題構文(概念構文)と陳述構文:「が」と「は」 の考えに至ったのははるか昔です。
その当時すでに「象は鼻が長い」は挙げられていたようです。
残念ながらそんな有名な例題があるとは知りませんでした。
僕の主な解析対象は「水が飲みたい」「私は水が飲みたい」でした。
(ただし記事◇命題構文(概念構文)と陳述構文:「が」と「は」の中では「水が飲みたい」ではなく要らぬ後知恵で「象は鼻が長い」を例としています。)

「水が飲みたい」は文の主体は必ずしも動作主体となる訳ではないことを示しており、 動作主体や同値主体に限定される「主語」という考えが日本語には適さないこと表します。
(「水が飲みたいの主語は水ですか?」という子供の質問は小学校教師を激昂させ発狂させる強烈なパワーを持つようで、この質問をした後、いろいろあって、ちょっと学校恐怖症になりました)

三上文法も主語を否定していますが、文の主体について曖昧にしています。
主語という考えの間違いはそれが「動作の主体」であったり「同値主体」であるなどの限定性にあります。「は」も「が」も限定的な「主語」ではなく論理主体を表します。

なお、 「象は鼻が長い」はとても優れた例文で、 「象は鼻が長い」を考察すれば、英語では個別語彙にするしかない事象/概念を、 日本語は単語の組み合わせで表せるという大きな言語的特徴に気づくはずです。 しかし、残念なことに「三上文法」では特に触れられることはありません。

xに関してΡが成り立つの記号論理学での表し方

記号論理学は英語(またはその類似言語)を元に作られていますので、残念ながら型に対する論理を直接表すことができません(例えば英語で「リンゴが好き」というのは「リンゴ」という型に対しての論理であるにも関わらずapples(昔はan apple)などとインスタンス化する必要がある)。

記号論理学では「型」についての論理を書く場合∀x(任意のx)、∃(1個または複数のxが存在する)という記号を用いてインスタンス化します。

「象は鼻が長い」は「∀象∃鼻 長い」「任意の象に関し鼻が存在し長いが成り立つ」

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