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◆「χはΡ」: χに関してΡが成り立つ

xΡ : xに関してΡが成り立つ

xΡ」という日本語は「xに関してΡが成り立つ」という論理を表します。

 「今日は雨」  「今日に関して雨が成り立つ」
 「俺はやる」  「俺に関してやるが成り立つ」
 「リンゴは赤い」「リンゴに関して赤いが成り立つ」
 「彼は背が高い」「彼に関して背が高いが成り立つ」
 「象は鼻が長い」「象に関して鼻が長いが成り立つ」

記号論理学では「対象xに関して命題Ρが成り立つ」ということを

  ∀ xP  任意のxに関してΡが成り立つ  任意のxΡ
  ∃ xP xが存在しΡが成り立つ xが存在しΡ

で表します。ただし、残念なことにこの記述法でxに割り当てることのできるのは「型」だけです。俺とかパスカルといったインスタンスをxに与えることは出来ません。

 表記の分かりづらさ-1(要素の論理結合が省略されている)

この表現の大きな欠点は2つの要素の論理結合「対象要素に関して命題要素が成り立つ」であるにも関わらず、結合を表す記号そのものが省略されていることです。

これを嫌って、forなどを補い

  Ρ  for  ∀x

などと表記することもあります。
順番が逆転するのは、英語の制限のためです。

「for」でなく論理結合記号「は」を用い

   ∀x  は  Ρ

とするのが適切です。

∃も同様に論理結合記号を用いるべきで、 ∃は限定指示なのでより限定的論理結合記号である「が」を用いるのが適切だと考えます。

   ∃x  が  Ρ


なお、 「∀xP」 と書かず、xPの間に空白を置き 「∀x P」と書く流派もあるようです。視認性の高さのため本記事でも間に空白を置きます。

 表記の分かりづらさ-2  ∀x : 任意のx

「任意の。。。」「xが存在し。。。」という対象範囲指定も分かりづらいものです。

これは本来xという「型」対する論理であるにも関わらず、英語(あるいはその他の類似言語)では型とインスタンスが未分化で、型について言及する場合でもインスタンスを持ち出さないとならないという大きな欠点を持つため、その表現法から逃れることができずこのようになったものと推測されます。

例えば、「私はリンゴが好きです」という表現は本来「リンゴという型」ついて述べているにも関わらず「インスタンス」化する必要があり「I like apples.」となります。
昔は「I like an apple.」と教えられていました。

「任意のx」というのは「その型xのインスタンスのどれを選んでも」という意味です。つまり「型」を回りくどく表現しています。

   ∀人間 考える葦である
  ・パスカルは人間である
  結論:パスカルは考える葦である

   ∀象 鼻が長い
  ・ダンボは象である
  結論:ダンボは鼻が長い

といった論法に用います。

対象が型である場合∀をつけるのは無意味であるため、先にのべた結合記号「は」を使い

  人間 は 考える葦である
  象 は 鼻が長い

と表記するのが、「記号論理学」のあるべき姿です。

 表記の分かりづらさ-3  ∃x : xが存在し

先の項では「鼻が長い」を一つの命題として扱いました。 これを∃を用いた論理文に分解し、 ∀と組み合わせ

   ∀象∃鼻 長い  任意の象に関して鼻が存在し長いが成り立つ

という記述ができます。

ここでも論理結合記号「は」「が」を用い、型を表す単語に対して意味を持たない ∀ および ∃ は省略し

  象 は 鼻 が 長い

と記述するのが記号論理学的に理想です。

 表記の分かりづらさ-4 インスタンスxに関して書けない

インスタンスに対しての論理を書く記述法は用意されていません。

∀,∃は型からインスタンスを抽出するものなので元々インスタンスであれば∀,∃を付加することなく

xP インスタンスxに関して命題Pが成り立つ

と表記されるべきなのですが、この書き方は記号論理学では一般的ではないようです。

型の論理は英語またはその類似言語では表現のしようがありませんので∀,∃が用意される一方インスタンスの論理はisや動詞などで英語またはその類似言語で表現できるため、特に表記法は用意されなかったものと思われます。

例えば

 巨人は背が高い  (∀巨人 背が高い)

という表現は巨人と主体とした形で英語ではできませんが

 彼は背が高い  He is tall.

は英語でも表現できます。

次のようなインスタンスを主体とした論理

 ダンボは耳が大きい
 その象は耳が小さい
 その象はダンボではない

といったものは記号を用いず、自然言語で表されます。(この場合でも英語の論理学的制限により「耳が大きい」という耳を主体とした命題を置くことはできず、 ダンボは大きな耳を持つという形となり「インスタンスxに関して命題Pが成り立つ」という論理形態を保持することはできません)

やはり、インタンスの論理も論理接続記号「は」「が」を用いて、"論理学的"に表されるべきだと考えます。

Ρ部の記述は「記号論理学」の外で説明するのが普通?

多くの場合記号論理学では命題はΡといった記号に纏められ、細かなことはブラックボックスとし、それが成り立つかどうかの表面だけを見ます。

前項では「鼻が長い」という命題を

  ∃鼻 長い  鼻が存在し長い

と記述しました。少し違和感はありますが、許容範囲にあると考えます。

次の例はどうでしょう

   ∀巨人∃背  高い  任意の巨人に関して背が存在し高いが成り立つ

   ∀昆虫∃脚 6本   任意の昆虫に関して脚が存在し6本が成り立つ

論理的に何ら問題はないと思いますが、違和感は強くなります。

これを嫌ってか、
   ∀昆虫P
   P=脚を6本持つ(脚を論理主体とした記述を採らない)
と書かれることもあります。(もちろんPなどと記号化しておけば、複雑な論理を数式的に組み合わせる場合便利だということもあります)

ただ、この「違和感」は「論理学」ではなく単に「英語(またはその類似言語)」の問題にすぎず、「記号論理学」としては 「∀昆虫∃脚 6本」は問題ないんじゃないかなあと思っています。そうでなければ「論理学は論理的じゃない」。

日本語の記号表現なら何の違和感もなく「論理的」に取り扱うことができます。

論理結合記号を用い型に対しては意味を持たない ∀ および ∃ は省略し、対象を1インスタンスに限らず、型や抽象要件でもよいとし

  巨人 は 背 が 高い
  昆虫 は 脚 が 6本

とするのが最も論理表現として適切です。

 範囲限定 ∋ : の

ある集合Dの中の任意のxを 範囲限定記号∋を用い次のように表します。

  D∋∀x

アフリカの象は頭が平らで、アジアの象は頭が丸いということを範囲限定記号∋を用いて表すと次のようになります。

  アフリカ∋∀象∃頭 平

  アジア∋∀象∃頭 丸い

∋を記号「の」で表し、∀∃を論理接続記号「は」「が」に置き換えると次のようになります。

  アフリカ の 象 は 頭 が 平ら

  アジア の 象 は 頭 が 丸い

この記述法は記号論理学での理想的な形だと考えます。

 つまり日本語こそ理想の「記号論理記述」

日本語の「は」「が」「の」を記号として用いた論理記述こそ、記号論理学のあるべき姿だと考えます。

日本語は機械論理語ともいうべきもので、「体言」に論理機能を与える格助詞により論理が編み上げられていきます。

日本語は日常会話で用いるには余りにも論理学的すぎ、論理を畳みかけるような、圧力の強い、身も蓋もないものとなりがちです。

このため、少しでも婉曲に、曖昧に、美的にする努力が古来から重ねられてきました。

俳句は曖昧化の努力の結晶であり芸術です。
日本語は文法的には科学論文やプログラムに適した論理学言語ですが、曖昧化の努力を重ねることにより、日常語として使えるのみならず芸術の域に達することもできるのです。

 本論とは関係ないメモ(論理記号の文字表現)

 論理文を翻訳する場合の「違和感」の喪失と雑談

 #2021/7/5 タイトル変更

タイトルを
 「χに対しΡが成り立つ:χはΡ」
から
 「∀象∃鼻 長い ; 象は鼻が長い」
に変更しました。

・・キャッチ―なタイトルにはなりましたが、本質「χはP」が薄れるので、再び
 「χはΡ」χに関して対しΡが成り立つ」
に変更。

象は鼻が長いは短い別記事にすることに。

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