質問と説
例えば授業中に生徒が自説を得々と述べ始めたら、それは授業妨害となってしまいます。
質問を受け付けているところに対し自説を送り付けるのもとんでもないことです。
自説を述べるのではなく、純粋に質問をする場合はどうでしょう?
例えば、
- クジャクのオスの目立つ羽はメスの好みによって進化した
という説を聞いて沸く素朴かつ当然の疑問
- メスはどうしてそんなオスを好むように進化したのですか?
を投げると、純粋な質問なのですが、「メスの好みによる進化」説を否定する新たな「説」ととらえられるかも知れません。
例えば、
という説対し
と質問すると、それは"が"の文法機能に関する新たな「説」の入り口となってしまいます。
例えば、
- It's rainnigのItは「天候を表すit」です
に対し
- What time is it now?のitは「時刻を表すit」ですか?
という質問をすると、とらえかたによっては、「天候を表すit」という「説」のバカバカしさを指摘しているように見えます。
例えば、
- 一般書で目にする銀河の円盤部の回転速度の理論値と観測値のグラフ
対し
- 理論値は一見するとバルジ部にのみ質量があるとしているように見えますが、バルジ部のみの場合と円盤部の質量も考慮した場合を比較可能なグラフはありますでしょうか?
という当然の質問をすると、そもそも理論値がおかしくないか、と言っているように聞こえます。
例えば、
という説に対し
- 粒子として空間を移動している証拠はありますか?波として移動し粒子として他の物質に衝突するというのなら粒子として存在している時間はあるのでしょうか?
「光は波として存在し移動している時間はあるけど、粒子として存在している時間はない;つまり粒子ではない」という説のように見られます。
例えば、
という説に対し
- 運動エネルギーや光は重力作用を持ちますか?
そもそも相対論ではエネルギーと質量は全くの別物で、互いに「変わり得る」といっているだけのはずですが。
という質問は"質量"の解釈に関する「説」を述べていると思われかねません。
例えば、
- 量子縺れ状態にある2つの粒子は片方に変化を与えると同時にもう片方の状態が変わります
に対し、当然の疑問
- その仕組みを使って光より速い通信が実現できないのはなぜですか?
を問うと、それは量子縺れ説を完全否定する「説」ととらえられてしまいます。。。。まあ、これは確かに質問というより論理不備の指摘ですけどね。
例えば、
- 移動体には光を受ける向きに光行差という"見かけ"の差が生じます
に対し、当然の質問
ともなると、もはや質問ではなく、間違いの指摘を質問風にしただけです。このレベルになると、多分、質問形式にせず、「"見かけ"というのは間違っています」と言った方がいいでしょうね。でも、それでは受付口がない。
質問の仕方はとても難しく、小学校の頃、純粋な質問に対し「君は学生であって学者じゃないんだ」という思いもよらぬ反応が来ました。
自説を述べていると捉えられたのでしょう。
質問をするときは出来るだけ自分の判断を入れないように気を付けてはいるのですが、内容をある程度明確にするための補足を入れる必要もあり、そのような形でも「自説」を述べていると捉えられないようにするには「質問技術」をかなり高める必要があるかもしれません。
もう一つ言えるのは、
解答者が興味を持ってこない限り、先への展開は行わず、質問内容で終わりとすべきです。
解答を受けての先の質問は別ものとして行わなければなりません。
説感を無くした質問を投げられるか
本ブログの記事では色々と「自説」を述べています。
しかしながら、出発は純粋な「疑問・質問」なのです。
疑問に対し自分なりの考えを述べて記事にしていますので「自説」化しています。
なんとか曖昧にならない範囲で質問が含む「説感」を低下させ、より純粋な「質問」として外部に投げられないかなあと考えています。
Q&Qのままの本ブログ記事に解決が得られるか?
本ブログの記事の内「妄想物理」記事はほぼQ&Qであり、根本の疑問が解決されないまま、妄想を展開しています。
そろそろ何とかしたいと思っており、「解答の得やすい質問」化にトライし、あちこちに投げてみようかと考えています。