◆「遠く」の星を「見る」ことと光子は関係ない
「遠く」の星を「見る」ことと光子は関係ない
これまでの記事
で述べたように、「星を見る」場合光学的にボケない範囲では星の明るさは変わりません。光子の問題ではなく、光学特性に問題がなければ「近くの星」が「見える」なら「遠くの星」も「見えます」。
1メートル先の蝋燭は3メートル先にいっても網膜上に結ばれた像の明るさは9分の1になるわけではなく同じ明るさを保ちます。像の面積が9分の1になるのです。
星は本来太陽と同等の明るさを持ちますが、十分なサイズの十分な像を結ぶことができないで暗くなるのです。
遠いから暗いのではありません。
朝永振一郎「量子力学」Ⅰ
どうも誤解の出発点はここにありそうです。
「第2章 §12 光電効果」
とりあげたい問題は「3メートル先の蝋燭」と「遠くの星」部分ですが、その前段階から問題がありますので、記述の順を追います。
なぜ「原子」のサイズで光と反応すると仮定する?

この本の中では光波説では、光と物質の反応が、「光を原子のサイズで受け取ることで起こる」と仮定しています。
右図のように「原子のサイズの中を通る光の波」のエネルギーを得ることができるとしているのです。
なぜ
- 電子のサイズでなく
- 原子核のサイズでなく
- 分子のサイズでなく
例えば電子のサイズ(ほぼゼロ)だと光と反応することはないでしょう。
ロドプシン程度の分子のサイズだと、面積は10の9乗程度違いますので、容易く反応するでしょう。
電子の存在確率範囲とすると、金属は全体で一つとも言えますので、有機分子以上に反応しやすいはずです。
そもそも光と原子がどのように反応するかを示さないまま原子のサイズを持ってくるのは「間違っています」。
光波説が間違っているのではなく光波説に関する仮定が間違っているのです。
光子説で、
光が粒子として空間を移動し、電子または原子核と衝突するものと仮定すると、
その確率は殆どなく、ほぼすべての物質は透明になってしまいます。
もし光子のサイズが無限に広がっていて電子と衝突するというのなら、
それは波であって粒子ではありません。
衝突するのではなく光の電場の変化に反応するのだとすれば、それも波であって粒子ではありません。
なぜ「原子」がエネルギーを蓄積すると仮定する?
光波説に於いて、光電効果に関して「原子のサイズで光波から受けるエネルギーを蓄積して、一定値まで溜まったら、電子が弾かれる」
という仮定も無理があります。
この仮定は「光が波」という事とは全く別です。
なぜいきなり3メートル先の蝋燭を題材にする?
身近な例を出したのだとは思いますが、これが誤解「3メートル先に行っただけで蝋燭は見えなくなる」を生む元となっています。
冒頭でも述べたように1メートル先の蝋燭は3メートル先に移しても網膜上の像の明るさは変わりません。像が小さくなるだけです。
(本の記述は「見る」ことではなく光電効果に要する時間を論じています)
受光面の明るさだけが問題なので恣意的な距離など出すべきではなかったのです。
もし述べるとするなら、
- 蝋燭の光ではXXの光電効果エネルギーが得られ、太陽光ではYYが得られる。
- 原子のサイズの窓を通る光のエネルギーを得ると仮定し
- そのエネルギーが蓄積されると仮定すると
- XX、YYに達するには
- 3メートル先の蝋燭の光では30000秒かかり
- 1cm先の蝋燭の光では0.3秒かかり
- 網膜上に素子を置くなら、3メートル先の蝋燭で0.003秒かかり、
- 太陽光では△△秒かかる。
その上で、
- そんなに時間はかかっていないので
- 光波説は間違っている
もちろん持ち込んだ2つの仮定に問題があることは変わりはありません。
波と電子がどう反応するか不明であるという事で言えば、電荷を持たない光子と電子がどう反応するかはもっと不明です。
ちなみに、本の計算に従うと3m先の蝋燭の光を半径1cmのサイズで受けると仮定すると (((3×10のマイナス12乗)/10のマイナス16乗)/10の16乗)秒、即ち3ピコ秒程度になります。
なぜ「遠くの星」が「見えない」という論を展開する?
眼で見る場合
- 瞳径5mmで像1μmまで集光できる
単に光電効果センサーをポンと置くのとは違います。
距離に関して言えば、(光学特性を無視すれば)
「近くの星」が「見える」なら「遠くの星」も「見えます」。
(光学特性が劣る近視の人には遠くの星はみえませんけど、
光子仮説だと見えるはずなのでしょうか?)
「見る」ということがどういうことかに関する興味も知識もないまま「見えないはず(網膜に作用しない)」などと言ってはならなかったのです。
ここで星を見る話になってしまったので、前半の蝋燭部も「3メートル先の蝋燭も見えない」と誤解されるようになったのでしょう。
怖いのがこういう誤解が広がることです。
- - -
正確には「見えないはず」とは言っておらず、網膜に作用することはないと言っています。
また「遠くの」星とも言っていませんが、「近くの星:太陽」の存在を考えれば「星という表現=遠くの星」と言っていると捉えました。
引用します。
もし光が粒子性を持たないなら,星の光のような弱いものは,人の一生かかっても目の網膜に作用することはできなかったであろう。
以下この記事の本質とは違いますが
光子(空を飛ぶ粒)と光量子(エネルギー交換単位)
光は「粒子」が飛んでいるのではなく、波であり、 物質とエネルギー交換が起こる場合はエネルギーが「量子化」したものとなる、 ということだと考えています。
粒子性と量子性は全く別です。
量子性とは何等かの値に連続性の欠如があることです。例えば、光の振動数vのエネルギーはhvでしか得ることはせきません。
粒子性とはどういうものでしょう?
- 数えられる
- 数は特別な事象が起こらない限り保存される
- サイズ(限りなく0に近い場合もある)を持つ
- 同一種では空間を占有する(即ち衝突性を持つ)
- 粒の形態を保持する時間がある
光は波として移動します。波としての存在は干渉や回析の存在で証明されています。
波として空間に広がっている光波が電子にエネルギーを与える場合は空間的にただ1点にhvのエネルギーを与えます。
一点に集まったエネルギーはもはや光ではありません。光はこの時点で光ではなくなるのです。
このエネルギーを光量子エネルギーと呼ぶのは適切ですが、光子ではありません。
光は波から直接電子に与えられるエネルギーに転換するのであって、その過程のどこにも光子は登場しません。光が粒子として「存在」する時間などありません。
光には「量子性はある」が「粒子性はない」とするのが正しいのです。
なお非相対論的波と粒子の性質の差として
- 粒子の場合異なる等速系で観測すると対象の移動方向が異なるが、波では方向は変わらない
これに関しては◆光行差と波と粒子と特殊相対論を参照してください。
科学系?雑誌「ニュートン」
科学雑誌を販売しつづけることはとても難しいことだと思います。
実は◆星は暗いのではなく小さいのです-2 に始まる一連の記事は「ニュートン」のオバカ記事がきっかけでした。
「"3メートル先の蝋燭も見えないはず"と朝永振一郎博士が"「量子力学」Ⅰ"で述べている」
というのはこの雑誌にありました。
基本の説明は眼の機能を完全に無視して「光は距離の2乗に逆比例して弱くなるので少し離れるだけで見えなくなるはず」という良く聞く馬鹿げたものです。
この「ニュートン」、
いつも美しい写真と美しいイラストをふんだんに使った「楽しく」「怪しい」「いいかげんな」科学関連の記事を載せる雑誌だったのですが、
残念ながら経営が立ち行かず会社更生法の手続きにはいったということです。
立ち直ってくれるといいのですが。。。
「科学と似非科学の際を行く」と開き直ってもいいかも知れませんね。 場合によっては間違った科学常識に挑戦するといったこともできるかもしれません。
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