◇トモイマシテ(と思いまして):日本語の拍の消失
ともいます(と、思います):拍の消失
日本語は拍の長さが一定で単語の並びなどによって消失してしまうことなどもない という意見があります。
実際には一息で話す句のなかでも拍の長さはかなり変わりますし、拍そのものが 消失する場合もあります。
昔、気になったというか面白いと思ったものに、「と思います」を「ともいます」 というしゃべり方があります。
「と」のoにひかれ「思います」の頭oの拍がほぼ完全に消失しているのです。
しかし、声に出して試してみれば分かりますが、さほど不自然ではありません。
最近TVのCMで「年賀状作ろトモイマシテ」と歌っていたのを聞いて、とても面白く感じました。
拍が消失しても受け入れ可能な条件はなんでしょうか?
一つは明らかに母音の連続ですが、もう一つ「と」というつなぎの言葉意味的な
弱さと響きの強さがあると考えます。後半が「ま行」であることも重要かもしれません。
例えば「が有る」なども縮むことはありそうですが、「が」弱まることはあっても
「あ」が消えることはありません。
いずれ更なる考察をしようともっています。いや、「ともいます」に比べ「ともっています」 は不自然だ。。。。
拍の消失の余談:のばす音、拍の省略
近所の八幡様の脇に大きな広場があり、その一角に15メートル四方程度で綺麗なセメント 舗装をしてある部分がありました。
「スケトバ」と呼ばれていました。これが「スケート場」だと知ったのは少し大きく なってからです。
「キヨカン」と呼ばれる映画館がありました。東宝系の映画館でゴジラや若大将は ここで見ていました。これが「起洋館」であることを認識したのは、かなり大きく なってからです。「起洋館」という字はずっと目に入って いたはずなのに意識しなかったのは不思議です
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