◇月と太陽と古代人と考古学者と
太陽と月のサイズの不思議
太陽と月の見かけの大きさはほぼ同じです。
月の位置の微妙な変化により皆既食になったり金環食になったり
というのはいかにその二つが近い大きさかを表します。
見かけの大きさを一致させる力学的要因はありません。
現在のこの状態は単なる偶然に過ぎないのです。奇跡的ともいえます。
もちろん、宇宙が形作られ、生命が誕生し、人間が進化し、あなたが今このブログを読んでいる奇跡に比べれば取るに足りないものですが。
月は徐々に地球から離れているそうですから、
遠い未来では皆既日食は見られなくなるんでしょうねえ。
今回の金環食はリングがやけに太く見えたんですが、どんどん太く
なっていくんでしょうね。
### 2012/5/28
本日NHK教育の「サイエンス・ゼロ」で日食の話題を取り上げていました。
皆既食と金環食が起こることに関してやはり「奇跡」という表現を
していました。ちなみに月は年間数センチ遠ざかっているとのこと。
==以下別ブログ「酔歩惑星」2009/1/29の記事からの引っ越しです。
太陽と月と古代人と現代の考古学者
太陽にも月にも一切興味を持たない都会育ちの現在の考古学者にとって 日食とはにわかには信じ難い恐ろしい出来事のようです。
古代の人々はどうだったのでしょう?
毎日、太陽を見、月を見ながら暮す古代の人にとって 日食は起こるべくして起こる当然のことだったのでは ないでしょうか?
誰に教えられなくても、月、太陽を眺めていれば
月の満ち欠けと太陽の関係は「直感」できます。
太陽が月を照らしていて、月が太陽より手前に
あるというのは殆ど説明不要で、まさに毎日見てれば分
かるものです。
古代人ではありませんが、
田舎の子供であった僕にとって、月と太陽の位置関係
は、見たままの当然のことでした。
違和感といえば月が、その陰から見て球であることは
あきらかなのに、えらく平べったく見えることでした。
そして、何より不思議だったのが、手前にあるはずの月が
太陽を隠すことがないことでした。
「月が太陽隠さないの?」と大人に聞いたら
あっさりと「隠すことがあるよ」と教えられたような記憶もあります(ちょっと
あやふやな記憶です)。
古代の人も同じように月が太陽を隠す はずだと「直感」していたはずです。
月と太陽の位置が気になって、
幼稚園に入る前だったと思うのですが、冬、近くの神社の大きな木の下で
ちょうど太陽が真南(物心付いた頃から方位感はありました;
古代人も方位感を持っていたはずです)
になったとき、枝のどの位置にあるかを覚えて、夕方、半月の月が真南
に来る頃にまた見に行きました。
思いのほか月の位置が高かったのを覚えています。
「そうか結構位置が違うんだ」と思いつつもやはり、頻繁に太陽を
隠しそうな気がしてなりませんでした。
別に縁側で庇との位置関係を見ても良かったはず
なのになんでわざわざ神社の木を選んだのかはよく分かりません
日食の起こる時間を正確に予言するのはそうそう簡単なことでは なかったでしょうから、おそらく予言をすることには古代の人々 は強い尊敬の念を持ったことでしょう。
しかしながら、普通の人々でも、日食そのものは当然起こるもの
と思っていたはずです。それに、昔起こった日食の話なども伝わっていた
はずです。
月が太陽を隠すことに対する恐れは持っていたとしても、それが
起こることには何の疑問も持たなかったはずです。
映画などで古代の人、あるいは未開地の人が突然(※)起こる日食に恐れおののき大混乱となるシーン
がよく出てきますが、そんなことは絶対に無いと断言できます。
多くのところでは日食は予め予想され、なんかの儀式をやったりしていたんじゃないか
なあと想像します。
考古学者の説明で日食は「古代人の理解を超えた現象」とされますが、それは違うでしょう。
天体に関する知識も興味もないため日食に恐れおののくのは現代の考古学者
自身であり、決して古代の人ではありません。
天文は古代の人間にとってとても重要なものだったはずです。考古学者は 天文に興味を持たなければなりません。
### ※
ま、映画ですからね。都合よく起こってくれないと。
### 月を見る者
クラークが名づけたのか、キューブリックが名づけたのか分かりませんが、
素晴らしい名前ですね。
多分、ヒトザルは日食の原理を理解したのではないでしょうか。
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