◆粒子=波束論の怪しさ:波と粒子と
粒子は波の束であるという論

量子力学で「電子は波でありかつ粒子である」という説明をするときに 「粒子は波が束になったものである」とされることがあります。
右の図のような形で、
少しずつ波長のずれた単純な波を重ね合わせることにより
1か所に集中した波を作り出すことができます。
基本の波にガウス分布式の形の重みづけを行ったものと
みなすことも可能です。
この波は、この分布の形を保ったまま移動していく形にも
なります。
これが粒子を表すものであり、波の集中が粒子であり、粒子とは波を束ねたもので
ある。と、いうのです。
ところが、ポテンシャルの台地にぶつかると。。。

ポテンシャルの台地があるとして、そこに粒子とされる波束が進んでいくとします。

波はポテンシャルの崖にぶつかると一部は崖を乗り越え、一部は反射します。
波を粒子の存在確率を表すものと考えれば何の不思議もありません。乗り越える可能性もあれば
反射する可能性もあるのです。
しかし、波そのものの形状を粒子と見なすのなら、粒子が半分に割れたということに
なります。図ではきれいに2つに分かれていますが実際はもっと崩れたものになります。
時間がたって、いくつものポテンシャルの変化に遭遇すれば、どんどんと
波の形は崩れていきます。だんだんと存在する可能性のある場所が広がる
のは当然です。粒子が細かく分かれて行くわけではありません。
あるいは、ポテンシャルの台地ぶつかることにより粒子性がなくなったとでも
言うのでしょうか?
違うのです。波の集中が粒子を表しているというのがとんでもないウソであって
集中しようが分裂しようが全体にべたっと広がろうが全体で一つの粒子を
表しているのです。
例えば電子銃から発射した直後など、存在位置がかなり限定されるものに
関しては波の束とした上で計算することができるというだけなのです。
崩れていようがどうだろうが、構成している波は同じだという意味では
ウソはないのですが、最初の"粒子もどき"はどこに行ったのでしょう。
その波の構成をとればどんな妨害があっても自動的に波の高まりが
局所に集中するというのなら、そして一度集中したものは妨害を受けない
限り形を保って移動するのなら、仮に集中箇所が複数になっても波の
粒子性といっていいでしょうが、基本的にダラダラと崩れる一方なの
です。
ついでに付け加えておくと、波の束から局所的な山を持つ波の形が得られる
のではなく、局所的な波の形から、それにちょうど合うように波構成を選んで
行くのです。
崩れ広がる確率関数で訳が分らなくなった 一部学者がおバカな「観測問題」にはまります。例えば先の 乗り越えと反射に分れた波動解なども「人間による観測」でまた 一つの塊に収束するのだといった形です。
束縛条件下の粒子/波と自由空間の粒子/波
量子力学が大活躍するのは、原子に閉じ込められた
電子の動きに関する場面です。
強い束縛条件下での波動方程式で表される電子の振る舞いを
実によく説明することができます。
しかし、束縛を受けない電子の動きを同じように解ける訳では
ありません。
空間を移動するという基本のことさえ、束縛条件下の波動方程式の単純な応用では
表せないのです。
数個の自由粒子が絡み合っただけでシュレーディンガー方程式やマトリクス 演算/ブラケット演算などみんな全く役に立たないものになってしまい ます。
そこで考えたのが、存在確率の高い部分があり、それが移動 することで粒子の移動に"見せよう"というものです。
直感にはマッチするように見えますが、波はあくまで確率の波で あって、そのどこかに粒子の存在が期待されることが前提なのです。 それをかき集めた波の形を粒子と見なすのは無理があります。
もちろん、粒子がある確率でポテンシャルを乗り越えたり反射
したりすることを計算で出すことはできます。
しかし、それはあくまで波がそういう形になっているからで
あって、波の形そのものは粒子ではないのです。
しかも、例えば原子から叩き出された電子が、なぜそういう形
の波の束になるのかなどは全く説明されていません。
電子は、基本的には原子の中であろうと、自由空間であろうと、
存在確率の波の中に存在する粒子なのです。
(ついでに)粒子の衝突とエネルギー順位の排他性
粒子の粒子たる性質として粒子同士の「衝突」があります。
粒子の衝突は単純な波の衝突ではありません。

例えば、左右から波がぶつかろうとしているとします。

波の衝突した場所では波が高くなります。

しかし、二つの波は互いに影響を与えることなくすれ違って行きます。
先にも示したように、そもそもこの2つの波の高なりは2つの粒子ではなく 一つの粒子の存在確率にすぎないのです。

粒子が2つあるということは、2つの全く別の波(別の波動関数の解) が同じ空間にあるということなのです。
2つの波は互いに相手に対してポテンシャルの壁のように働きます。
2つの波の両方が高まることはありません。
つまり2個の粒子が同一位置に存在することがない、すなわち衝突
が起こるのです。
互いの影響でポテンシャルの壁のようなものが変動するので単純な結果は得られそうには
ないですね。
さらに、粒子同士は区別不能で、A:B並びもB:A並びも
同じ状態としての確率分布になりいっそう複雑なものとなります。
原子内の電子軌道は一つのエネルギー順位(軌道)に複数の電子が
入ることが禁止されます。
これは電子の存在確率が他の電子にとってポテンシャルの壁のようなものになる
のだということで計算に組み入れることが可能だと考えています。
単に「排他律」などと名付けて終わりにすべきではありません。
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