◇じゃないですか:否定疑問による文脈提示
「あたしって、朝弱いじゃなですか~」
最近結構批判の対象になる「じゃないですか」です。
たしかに、「知らんがな」と答えたくもなります。
じゃないですかの心
「じゃないですか?」を普通に受け取ると、否定疑問による肯定の 確認です。質問内容が共通の知識であることを前提としている ものです。
しかし、
批判の対象となっている「じゃないですか?」は質問内容が共通の知識
であることを前提とせず発せられます。
話者はこの発言に「相手が予め持っているであろう共通知識の確認」の機能を果たさせようとは
していないのです。
話者が想定する「機能」と聞き手の「受け取り」に差があるのです。
話者がこの発言に持たせたい機能は、これから話すことの前提、
話の基本の流れ、即ち文脈の設定です。
例えば、「私は朝弱いのですが、...」の形も採れますが、この
「が」は否定結合とも受け取られますので必ずしも使いやすい
言い方ではありません。
◇XXXですがYYYです。文章のくせ参照。
普通に「私は朝弱いのです。」と始めると"朝弱い"ということが
テーマであると受け取られてしまう可能性があります。
あるいは、この形では場合によっては論理を積み重ねる形の
強い表現となりがちなので避けたいのです。
とはいえ「これから、"私は朝が弱い"という流れにそった話しをします」
という言い方は変です。
では、なぜ「否定疑問形」に文脈設定機能を持たせようとするのでしょうか?
参考:◇否定疑問
否定疑問の形骸化と仮定文脈提示
次の否定疑問を見てください。- いいじゃん
- いいじゃないですか
- いいんと違いますか
では、次はどうでしょうか?
- XがYだとするじゃん、そしたらZがWになるんだよ
- XがYだとするじゃないですか、そうするとZがWになるんです
- XがYだとすると違いますか、そうしたらZがWになりますねん
これは「じゃん」の否定疑問として形骸化してしまっており、「違いますか」 がまだ形骸化を起こしていないからです。
仮定文脈提示に「じゃないですか」を使った場合の違和感には、 「おしつけ」を感じてしまうという面もあります。これは否定 疑問が否定を許さないからでしょう。「じゃん」も同じはず ですが、形骸化の度合いが強いため抵抗が少ない。
否定疑問の形骸化と事実文脈提示への導入
文脈提示にどのような形式を用いるかを考えた場合、 あくまで、文の基本の流れ、前提にすぎず、それ自体に 対しての議論を呼ばない形式が必要です。
そこで選択されたのが、既に仮定文脈提示に於いて 抵抗感のなくなっていた、形骸化した否定疑問なのです。
「XがYだとするじゃん」という仮定文脈提示が許されるのであれば 仮定でない事実に基づく文脈提示、例えば「おれ朝弱いじゃん」が許されて もよいのではという考えです。
「じゃないですか」の前に「じゃん」にが導入され、「じゃないですか」に なった可能性もあります。
ただし、今の所、この導入は必ずしも成功しているとは言えません。 定着してしまうのでしょうかね?
### 他の解釈
次のような解釈もあろうと思います。
「相手が自分の事を知っているはず」という甘えによる、という 解釈。
「私は朝弱い」という形式は2度3度と使うと「知ってるよ」という 反応を引き起こしやすいので避ける、という解釈。
### 余談
「とちがいますか?」「じゃありませんか?」と「じゃないですか?」、「じゃん」の差 はどこまで本来の「否定形の疑問」の雰囲気を保っているかです。多分
### 自分でも試す
この万象酔歩ってブログは、基本的には他の人が言っていないことを書こうとしてる 訳じゃないですか。他の人と同じことをわざわざ書く必要はありせん。 で、たまに他の人が同じ様な事を言ってるのを、しかも先に言っているの を見つけたりすると、 まあ 広い世の中なので同じ意見を言う人がいてもおかしくはないし、 それに同じ意見の人がいること自体はうれしいのに、 なんか、がっかりしちゃうんですよ。記事消しちゃおうかと思ったり。 。。。 ていうか 、メモ記事は別ですよ。メモ記事は少し独自の考えも述べている 部分があるとはいえあくまでメモなんで。
うん。便利かもしれん。でも、使い始めるのはもう少し待とう。
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