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◇夏とは言えど片田舎:知識と論理

「夏とは言えど片田舎、木立も森もいと涼し」

すばらしい描写ですよね。
物語の舞台をその空気感まで一気に示している。

ヒートアイランド現象など無い昔でも街中と 片田舎の温度差は大きかったんでしょうね。
子供の頃の記憶でも、夏でも少し奥に入った田舎の親戚 の家に行くと随分すずしく、しかも裏の神社などは ヒヤッとするくらいの温度差を感じたものです。

文の構造もすばらしい。

「夏」という概念の対立概念として「片田舎」を出し、 その対立軸が温度にあるということを「木立も森もいと涼し」 で示し論理構造の補強をしている。

実に良く練られた文です。

ところが、ある学者が、多分国語学者か英語学者だったと思うのですが、この すばらしい文を「日本語の非論理性の代表だ」と評していたのです。
いわく「夏と片田舎は関係ないではないか」と。

しかし、仮に「夏とは言えど富士山頂」という文であれば、非論理的だと いう非難はしないと思われます。夏であっても富士山頂は 寒いだろうなという基礎知識があるからです。
そして、片田舎であろうと富士山頂であろうと、文の論理構造は 同じであり、これを言語の非論理性とは結びつけることはできません。

論理構造を受け持つのが言語であり、内容の論理性は言語とは別の レベルに属します。

「夏とは言えど片田舎」の内容の論理を理解するためには、"片田舎 は夏でも少し涼しい"という知識が必要です。
これを非論理的と言った学者は単に知識を持っていないだけなのです。

さらには、この文は後ろで「木立も森もいと涼し」として、論理内容の 補強を行っています。
仮に片田舎の知識を持たない人間でも、この部分で「夏」の概念と「涼し」 という概念の対立は分かるのではないでしょうか?
もちろん「夏は暑い」という知識も欠落している場合は別ですが。

日本語は論理構造を極めて明確に示す言語です。そのため 各要素の内容に頼らず要素間の論理関係を示すことができます。

話の論理が見えないのは、聞き手、読み手の知識の欠落が原因で ある場合があります。
そして話をきちんと聞いていない、読んでいないという問題もあります。

この「夏とは言えど片田舎」の論理が分からないというの はまさにその典型です。
仮に「夏」と「片田舎」の対立が直ぐには分からなかったとしても 後に続く「涼し」によってこの文の論理は通常理解できる ものなのです。

ということで、非論理性を批判する場合、自らの知識と 自らの理解力に関しても少し目を向けるべきです。 僕自身も気を付けないと。。。

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