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◇明日来れる?ら抜きの突破口

「ら抜き言葉」こそあるべき姿だと思っています。
本ブログの記事でも何度もその旨を述べています。
しかしながら、実は、自分ではなかなか「ら抜き言葉」を使えないでいます。

ら抜きに関して最近気になっている言葉があります。
「来られる?」「来れる?」
です。

例えば、「明日来られる?」と尋ねる時、 微妙な違和感を感じるのです。
違和感の原因は、尊敬語との競合にある感じがします。

なぜ、そのようなことが起こるのでしょう?

明日来るかどうかを尋ねる場合を考えてみてください。
大概の場合
・来る意志があるか
・来ることが可能か
どちらでも不思議ではなく、どちらであるかの判断は困難です

これに対し例えば「見る」の場合
 ・見る意志があるか
 ・見ることが可能か
のどちらであるかは大概の場合明白でしょう。

さて、「明日来られる?」という可能性の質問を
・来る意志があるかという文脈
でとらえるとどうなるでしょうか?

「明日来る?」の尊敬語として受け取られてしまいます
しかも、間違った尊敬語の使い方です。(正しい尊敬語は「おみえに なりますか」です)

この曖昧感と、尊敬語を使う場面ではないのに尊敬語っぽく 聞こえる場違い感と、尊敬語としての間違った使用に 思える間違い感があいまって、違和感を呼ぶのでしょう。

可能性を問うならやはり「来られる?」より「来れる?」 の方が違和感は少なく、当然「来れる?」を使うべきです。

ということで、「来れる」が日本語のあるべき姿である「ら抜き」 への突破口になるでしょう。

 ### 余談:お手軽ラレル尊敬語をやめよう

ところで「られる」「aれる」によるお手軽尊敬語は いつごろ出てきたのでしょう?
そんなに歴史がある感じはしません。
だいたい尊敬語をこんなお手軽形式にしてはいけません。
「先生が喋られたように。。。」だとか「先生が食われたお食事は。。。」 とか変な使い方の元でもあります。

「ら抜き言葉排斥運動家」の皆さん、ら抜きなどよりこの 「お手軽ラレル尊敬語」を排斥しましょう!

学校ではこう教えましょう。

  • 可能表現では「ら」を抜きましょう。
  • 尊敬語としての「られる」は使ってはいけません。
  • 「られる」は受身でのみ使います。

NHK始め、明確さの要求される放送機関もぜひこの方針で。

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