◇「まあ」の意味/機能
口癖というほどでもないのですが、自分で喋っていて時々 気になるのが「まあ」
口癖になっている人も多いですよね。
この「まあ」の意味というか、機能は何か。
程度を表す「まあ」(まあまあ)や感嘆詞の「まあ!」は分かります。
でも、普通使われる「まあ」はこの意味ではありません。
そこで登場「広辞苑」
------------ 以下広辞苑から 引用 -----------
まあ[先]《副》
①(かなりの程度であることを表す)まず。まずまず。「-よい方だろう」
②(相手を抑止するのに用いる)しばらく、ちょっと。「-まあ待ちなさい」
まあ《感》
驚いたり感嘆したりまた危ぶんだりした時に発する声
------------ 以上広辞苑から 引用 -----------
残念ながらこの「広辞苑」の説明は「まあ」の本質を突いているとは思えません。
「まあ」が使われるのは、主に、何かに関して論じている状態で、それを
否定することなく、また対象は変えないまま、別の観点からの意見
を述べる時です。
否定することなく、論理の筋を一旦打ち切ることになります。(論理
の対象および大まかな流れそのものは継続させます)
「これから話すことは話題はつながっているけど論理はつながって いません」という合図なのです。
何の前触れもなく見方を変えた話をされると聞き手は混乱しますので、「まあ」で 切替えを明示します。
「200勝は価値があると思いますよ。まあ、いい目標ですよね」など というのも「まあ」の優れた使い方です。「価値がある」ということと 「目標にする」ということは異なる観点からの意見ですので、このように 「まあ」で一旦区切ります。もし「まあ」を入れなければ「価値があるか ら良い目標なのだ」という極めて一面的な論理を強調する文章構造と なってしまいます。
「まあ」によって打ち切る論理は自分の発言だけでなく、他人の発言
も対象にできます。
「広辞苑」で述べている"相手を抑止するのに用いる"となっているのも
否定することなく相手の論理を打ち切っているのです。「しばらく、ちょっと」
という解説は間違っています。
TVなどの司会では、話が無用に深い方向に進まないよう、つまり 論理を積み重ねる方向に進まないよう「まあ」で流れを制御する ことも見られます。相手の話を直接抑止するのではなく、一旦自分の 言葉として受けたうえで「まあ」で話を進めるという高度な 技です。
「まあ」は機能的で有用な言葉ですが、多用する傾向には 注意する必要があります。
論理の組み立ての弱い人ほど「まあ」が口癖になっているよう
に見えます。
自分が喋る場合を考えても、述べようとしている文章の論理的
なつながりが悪い場合、つい、この「まあ」を用いてしまう
ように思えます。
「まあ」は論理の打ち切りなので、先に言った自分の言葉に対して
突っ込まれたくない場合などにも用います。論理組み立ての
弱い人が「まあ」を多用してしまう心理はこの辺に
あるのかも知れません。
アナウンサーが意味もなく「まあ」を多用することはまずありませんが、 ニュース番組などで記者や評論家が多用する傾向も見られます。 「あ~」とか「え~」は特に意味機能を持ちませんので 使用は特に問題ありません。しかし「まあ」は先に述べたように 論理がつながっていないという合図なのです。 単に言葉の間をつなぐために使うべきではありません。 一応しゃべる商売である以上彼らには少し「まあ」を控える 訓練が施されるべきです。
一言一言に責任を持つべき政治家も「まあ」の使用は控えなくては なりません。「あ~、う~」政治家は信用できても「まあ」政治家 は信用に値しません。
とは言え、
論理機械言語とも言えるガチガチの文法を持つ日本語は、
論理を畳み掛けるような圧力の強い文章構造となりがちです。
「まあ」を用いて文と文の論理的つながりを弱めるのは
日常の言葉としてある程度必要でしょう。
日本語を日常言語として使うためには、曖昧化の努力が
欠かせないというのは、これまで何度も述べてきたことです。
このような「まあ」ですがなぜ「広辞苑」ではちゃんと
説明できていないのでしょう?
説明を短くまとめたかったから?
多分、あまり深く考えなかったのでしょう。
まあ、基本の言葉を説明するのはとても難しいことだし、 たかが辞書ににそこまで期待するのも無理でしょう。
まあ、この記事の目的は決して「広辞苑」に文句をつける ことでもないし。。。
まあ、あんまり細かな言葉を気にすると喋りづらくなるし。。
まあ、そんなとこで。。。と、論の筋を崩しつつ。。
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