◇酔歩力学(自然は微分しない)
ニュートンの「万有引力の法則」の説明に疑問を持ったのは 多分幼稚園か小学校の低学年でした。
細かい絵柄は忘れたのですが、地球とリンゴが互いに 紐でひっぱり合っているような図がありました。
疑問は地球はリンゴ一つを相手にする訳じゃないのに
なんでリンゴと引き合うことができるのかということです。
特定の相手がどこにいるかを知ることなど出来るはずが
ないということです。
リンゴはある程度大きいけど、もっと小さな無数のしかも
近くにあったり遥か遠くにあったりする物質に
力を及ぼすというイメージには無理がある。
地球は「近い方が良いよ」という気配を回り全体に
配っているだけで、特定の何かに力を及ぼしている
のではないのではと思ったのです。
もちろんリンゴも同じような気配を出します。
リンゴはどちらに地球があり、どちらに動くべきか
などというのは全く知らず、
ただ、地球の発する「気配」は感じている。
リンゴは常に小刻みに震えていて、たまたま
動いた場所の気配が強くなると、同じ方向へ
震えやすく、弱くなると振るえの方向が変わ
りやすくなる。
これだけでリンゴは地球に落ちます。
地球はリンゴ 一人を相手にする必要はありません。神様のごとく 回り全ての物一つ一つに力を及ぼすのではなく ただ気配を出すだけです。
次の考えがなんとなく混じったものです。
- 力を及ぼすべき他の物体がどこに存在しているか分かるはずがない
- 遠く離れた複数の物体間に力が直接及ぶはずがない
- すぐ近くであるとしても違う場所の値の差(傾き)を実際に動かず知りうるはずながい
「フラフラ物理」とか名づけたような記憶があります。(多分 中学時代なら「フラフラ力学」と名づけたと思います
後知恵
ポテンシャル場と物体の相互作用ですが、物体はポテンシャル 場から力を受けて動くのではなく、ポテンシャル場内を ランダムで小さな動きで動きその結果がたまたまポテンシャル の低い位置であれば、その動きが繰り返される可能性が 高くなる。
といった表現が出来ます。
化学走行性
化学走行性のある微生物の仕組みは、基本的にはランダムに 動きまわり、動いた結果、化学物質の濃度が濃くなったか、 薄くなったかで動きを変え、結果として、濃度の濃い方向 に走るというのが多いらしいことを、読んだとき、「あ! フラフラ物理に近い」と思いました。(とはいえ、非常に 大きな違いがあります。フラフラ物理では変化分のみが重要 なのに対し、化学走行性の場合はその場所の値が重要です) 高校の頃だったかなあ。。 もっと後かも知れません。
量子力学
量子力学について初めて読んだのは中学になってからだと 思います。(小学校時代に雑誌「科学」と「学習」の「科学」 で少し出てきたようにも思います;ちなみに「科学」の 記事で最も印象深く覚えているのは、「超伝導/超流動(無摩擦)」 の話です)
このとき、「あ!量子力学はフラフラ物理だ」と思いました。
フラフラ物理では小さい粒子は殆ど位置を定めることが できません。仮に粒子が点であったとしてもフラフラ と位置が震えているためため雲のようなものです。
素粒子レベルでは確率論的にしか粒子の動きを論じる ことができないのです。
移動させてみると波(存在する確率の空間波)のように もなるんじゃないかなあなどとも思えます。
当時読んだ量子力学の本は「シュレーディンガーの猫論」
など無益な「観測問題寄り道」などが多かったのですが、
「フラフラ物理」を用いればそんな無駄な迷路に陥る
ことはないのになあなどと思っていました。
(誰かが「観測」と言ったために多くの優秀な学者がオバカな
論争に巻き込まれて無益なエネルギーを費やした問題
でした。言葉って重要だなあと子供ながらに思いました。
単なる表現の問題ですまなくなることがある。)
素粒子論
時代が進んで、素粒子論。
量子力学の一環ではあるのですが、ここでもやっぱり
「フラフラ物理」の方がより良いと思いました。
力を「超光速の仮想粒子の交換」とするのにはどうにも無理を感じる
のです。
フラフラ粒子同士がそれに伴うフラフラ雰囲気とフラフラと
関係を持つだけでよいと思えるのです。
酔歩力学
「フラフラ物理」は重力理論を出発点としながらも量子論的であり
量子論に次々に持ち込まれる色々な仮想(仮想粒子しかり、
仮想空間しかり)を必要とせず、万物の第1層の完全論理を
作り上げる可能性を持ちます(う~ん!言いすぎです。妄想です、
あくまで)
(ま、その前に相対論的フラフラ物理を構築しなくてはなりません)
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったそうですが、
小学生の僕はこう答えるでしょう
「神ならぬ物質はサイコロ
を振ってみることでしかあるべき答えに到達できない」
中学後半なら「神様は微分できるかも知れないけど
自然は微分しない」
なお、「フラフラ物理」ではどのようなメカニズムによりフラフラするか は一切考えていません。このメカニズムはさらに深い層を想定 し、例えばカオスによるモデルにより説明しうるかも知れません。 (いや、妄想ですよ、あくまで)
「フラフラ」はランダムで、所謂「酔歩」です。
「ポテンシャル空間上の酔歩」が物理現象の基本原理なのでは
ないかという、幼稚園、小学校以来の年季の入った妄想なのです。
つまり
万象は酔歩だ
### 2008/5/1更新:タイトルに「(自然は微分しない)」を追加
ちなみに、当初の予定は「酔歩力学:酔えば微分はいらん」だったのを、
ひどすぎかなと「酔歩力学」で投稿したのですが、やはり"微分"は入れたい
なと変更しました。
### 2008/11/3 補足
- 酔歩させるのは普通の意味での「力」ではありません。酔歩力学では 普通の意味での力はありません。ものは力によって動くのではなく、 酔歩の結果現れる統計的な結果を普通「力が働いた結果」呼ぶ。 即ち力とは幻想だというのが酔歩力学の見方です。
- もちろん地球、リンゴとも小さい要素の集合で、それぞれの要素が酔歩して います
- 自然が微分しないということと、微分方程式で解けるということとは 関連しません。酔歩による差分動作であっても、概略計算では微分 と同等になります。
- 記事記述後「粒子性と波動性」の両立に酔歩を持ち込むという記述を 見つけましたが、「酔歩力学」は出発点が異なります。同等の結果を 導くであろうとは推測しますが、酔歩力学は、自然は傾きを感知せず あくまで微小な実位置移動によって「差」を感知するのである、と いう思想から出ています。
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