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◇「いる」と「ある」の時制感

「いる」と「ある」の違いを、「いる」は生物の存在を示し、 「ある」は無生物の存在を示す、とする説があります。

これは間違いです。

「いる」は進行していること、あるいは位置の変化があること を表し、「ある」は完了状態あるいは単なる存在を表します。

これは

  • やっている
  • やってある
の差を考えれば分かります。
「いる」は進行(気分)、「ある」は完了(気分)なのです。

「台風は今沖縄の南東100Kmの位置にいます」という表現は 台風を生き物とみなしているわけではありません。
そこに存在し、かつ進行していることを表しているのです。

動物は通常移動するものですので、「いる」を使います。
これに対し無生物は通常自ら移動するものは少ないので「ある」 を使うことが"多い"だけなのです。

「いる」は動物、「ある」は無生物という考えは、統計的には 正しくても、意味的には完全な誤りなのです。

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古い言い方では、生物/非生物ではなく、進行/完了であることが 分かりやすくなります。
「昔々、おじいさんとおばあさんがありました」
「我、ここにあり」
等々

### 2008/10/9 古い言い方-2
「故郷は遠くに在りて思うもの」の「在る」の主体は自分です。
故郷が遠くに存在するのではなく、自分が故郷から遠く 離れた位置に存在する状態。しかもその状態がある程度 固定化し、続いているのです。

### 補足
この記事のタイトルでは「現在進行形」「現在完了形」といった概念を "時制"と呼んでいますが、 時制と相とに分ける意見もあります。
この意見では、現在進行形、現在完了形では「現在」が"時制"で、「進行形」「完了形」が "相"だとします。

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