◆心臓はなぜ左にあると言うのか?
疑問は
- 体の真ん中にある心臓を、なぜ左にあると表現するのか
多分、多くの人が不思議に思っているのではないでしょうか?
解剖図を見ると、誰がどう見ても心臓のある位置は真ん中で、
その形が少し左に張り出したものになっているとはいえ、
左に"ある"と表現するには無理がありすぎます。
体に関する本を読んでも、いずれも「心臓は体の中心にある」と
記述されています。
にもかかわらず、心臓は左にあるのが常識のように言われ、
- 右利きが多いのは心臓が左にあるからである
- 赤ん坊を頭を左にして抱えるのは母親の心臓が左にあるからである
これはいったいどうしてでしょう。
心臓は死ぬと真ん中に収まるけど、生きている間は、 少しくねるように、左によって動いているのかも 知れないと考えたこともありますが、そういう ことは無いようです。
考えられるのは、心臓が左だというのは
- 解剖学的な位置ではなく、鼓動中心
確かに、心臓の動きとしては、左に膨らんでは縮むような
イメージがあります。左側は自由に動きますが、右側は固定され
ているかのようです。
右心室から出る血液は肺に回り、左心室から押し出される血液が
体全体に回ることを考えても左が強く動くと考えられます。
肺の形も左は鼓動を胸前面に導きそうに見えます。
鼓動は左側に強く響きそうです。
確かに、胸に手を当てると左の方が鼓動を強く感じます。
解剖学的には体の中心にあっても、外部観察的には
機能中心(鼓動中心)は左にあると言えるのかもしれません。
この「心臓左置きモデル」ですが、正しい「真ん中モデル」に比べ
実用的な意味はどの位大きいのでしょうか?
外科的にはこのモデルは誤ったものであるので意味があるとは
思えません。そもそも医者は正確な知識を持っているので
このようなモデルが必要だとは思えません。
傷を負う場合の重大さの程度の見積もりに意味があるで
しょうか?
今の所、このモデルの利点を考え付くことはできません。
そもそも、どれだけの人が「心臓が左にある」と信じているのでしょう?
実際には知識としては「真ん中」だと思っていて、「左だと言われる」
といった風に捉えているのでしょうか?
小学校などでは、今、どのように教えているのでしょうか?
### 追記:2008/5/16
本日NHKの「解体新ショー」で心臓の話題を取り上げていました。
冒頭で心臓の位置について街頭インタビューをしていたのですが、
やはり多くの人が「左にある」と思っているようですね。
解剖図などで心臓が真ん中にあるのは皆見てるはずなんですけどねえ。
番組では心臓は真ん中にあり、「左心室から押し出される血液が体全体
に回る」ので左が強く動くという話をしていました。
話の中心は、どのようにしてこのような心臓の左右の差が作られるかで
興味深く見ることができました。
### 2008/7/1
「心臓はなぜ左か;なぜ白を黒と言いくるめるか」という若干素直でない
タイトルを「心臓はなぜ左にあると言うのか?」という内容をストレート
に表すものに変更
理科室の恐怖(実話) 2010/09/01追加
小学校は北側の山を背に 4棟の2階建て木造校舎がトンボの翅のように並んでいた。
真ん中、少し奥まって講堂がある。講堂の西は広い校庭になっている。
講堂の東、北東校舎の裏は、山が迫っており、相撲の土俵や物置小屋、 動物小屋、小さな畑などがある。南に位置する2棟と、校庭に面した北西校舎に比べ、 北東の校舎だけは風通しが悪く、暗く、じめじめした怪しいイメージがあった。
幽霊が出るといった噂があった訳ではないが、それでも、ただならぬものを 感じる場所だ。理科室/理科準備室はこの北東校舎の一階にあった。
色々な薬の匂い、アルコール漬けの標本、顕微鏡、無数に並んだフラスコや試験管、メスシリンダー、 上皿天秤、何に使うか分からない曲がりくねった細いガラスの管、沢山の薬瓶を収めたガラス窓の 戸棚、鍵のかかった戸棚、小さく開けるのが憚られるような引き出し、 今は無くなった石綿を塗布した網が無造作積まれたケース。
子供にとってそこはSFと怪奇の世界への入り口とも思える空間だ。
それでなくても怪しい場所に位置する怪しい部屋。
ある日の放課後、友達と探検に行った。
そこにあるものに触るのはいけないことのように思えたし、怖さも あって、ただ眺めて回った。
そして人体解剖模型。
立ち止まってしばらく見ていた。すると背後に急に人の気配を感じ、振り返ると、大人が立っている。
直接習ったことはなく、話をしたこともないけど、 先生であることは知っている人物だった。
「ヒウラ君」と静かに声をかけてきた。僕のことを知っているようだ。 一緒にいた友達の名は呼ばなかった。
返事をしたがその後間が空いた。
僕は人体模型を指しながら「あの、、、心臓って真ん中なんですね」と、なにかを 取り繕うような感じで言った。
すると先生の表情が急に変り「心臓は左」と少し大きな声を出した。
僕は一体何がそういう強い反応を引き起こしたのか理解出来なかった。
「えっ?で、でも、ほら、真ん中にありますよね」と再び人体模型を指差した。
模型が間違っていなければ、心臓は確かに真ん中にあるのだ。すると先生の表情はますます険しくなり「心臓は左だ。素直になりなさい」 と怒鳴るような口調に変った。その目は僕を睨んでいるようでありながら、 でも、目が合うのを避けているようでもあった。
友達が、ツンツンと僕の肩をつついた。その場を立ち去りたいという 合図だ。僕らは「さようなら先生」とあいさつをし、理科室を出た。
振り返ると先生は人体模型の前に立ったままだった。
僕はかなりの恐怖を感じていた。
見てはならない物を見、言ってはならない事を言ったのだ。
誰が見ても明らかな心臓が真ん中にあるという事実は、見えてても 見えないふりをしなくてはならないものだったのだ。
地動説を唱え、あるいは進化論を唱え殺された先人達のように僕も なるのだろうか?
夜中に特高警察が、あるいはキリシタンバテレンの妖術使い達が 襲ってくるのだろうか?結局、特高警察もキリシタンバテレンの妖術使いも襲ってくること はなかった。本部への連絡をせず見逃してくれたのだろうか?
先生もその後特に何かあったという記憶もないので、 今から思うと単に「勝手に理科室に入ってはいけない」と いう意味だったのかも知れない。。。。。
ただ、この恐怖体験は心にしみついてしまい「心臓は左」という言葉 を聞くたびに、真実が見えてるのに見ない人に対する怖さ、怪しい校舎、理科 室がまぜこぜになった感情が、今でも、湧いてしまうのです。
実は、模型でなく絵だったような記憶もあるのですが、この話の
本質ではありません。
多分小学3年生くらいの夏休みちょっと前だと思います。
高学年になった頃、レベルというプラモデル会社から人体構造プラモデルが発売になりました。
透明な体の中に内蔵が収まっているもので、高さ30cmもない小さなものですが、結構精密に
できていました。
購入し、心臓が真ん中であることを再確認しました。
本当はこの記事を書こうと思った動機がこれなんですが、記憶があやふやな点もあるため、少しためらってました。
#2018/12/26 本筋とは全く関係ないのですが、記憶の混乱している点について、気になって仕方ないので追加:
記憶の中では理科室の窓の外に大きな庭石が2個、手前とそのすぐ後ろに見えます。
周りには数本の低木、多分偽アカシア。その先にはよく手入れされ逆さ箒の形のケヤキの木の下部。
このケヤキの陰が庭石と窓の縁に落ちています。
しかし、理科室を庭の側から見たイメージでは庭石が有りません。
つまり、理科室の中で思う位置と外から見たイメージの位置がずれているか、そもそも何方かが完全に間違った記憶かです。
まずいのが、記憶をたどろうとしているうちに、外から見たイメージに庭石があったような気がしてきました。記憶が歪んで来たのです。
まあ、昔のことで、なぜ理科室の風景がこんなに記憶されているのかも謎なんですけど。
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