◇命題構文(概念構文)と陳述構文:「が」と「は」
「象は鼻が長い」という有名な文があります。
とても単純な文法です。「鼻が長い」という命題が
象に当てはまると言ってます。
「彼は背が高い」も文法的には同じです。
「ゾウは鼻が長い」の構造「鼻」と「背」の抽象度の違いもありますが、一番の 違いは英語には「鼻が長い」という単語がなく 「背が高い」という単語はある、ということでしょう。はゾウ「は」鼻「が」長い主体:「ゾウ」
に関し
命題:「鼻が長い」がなりたつ主体:「鼻」
に関し
命題:「長い」
がなりたつ「彼は背が高い」の構造
は彼「は」背「が」高い主体:「彼」
に関し
命題:「背が高い」がなりたつ主体:「背」
に関し
命題:「高い」
がなりたつ
「象は鼻が長い」が「彼は背が高い」に比べ複雑だと 思う人間は単に英語(など他の言語)への変換を 考えているからではないかと思います。
まあ、今でもこんな議論があるかどうかは勉強不足で 知りませんが。
~が~というのは命題(または二次的概念)を構築します。
「水が飲みたい」「この店が安い」「僕がやる」等々。
~は~というのは陳述(事実の表明)です。
「眠い」だとか「水が飲みたい」などというのが、 「僕は眠い」、「僕は水が飲みたい」などという文に くらべ微妙な足りなさを感じるのは、単に命題(概念)を提示して いるだけだからです。もちろん、限られた文脈の中では命題(概念)の提示だけでも構いません。
象を見たとき「鼻が長い」で十分だし、長身の人 に会ったら「背が高い」で十分なのです。
「暑い」「雨が降っている」というのは命題(概念)提示という意味
で同等です。
文脈外で「暑い」「雨が降っている」と言われると
あまりにも唐突ですが、「今日は暑い」「外は雨が降っている」
と言われても唐突さは少ないでしょう。
これは「暑い」「雨が降っている」が命題(概念)の提示に過ぎず、
陳述でないからです。「今日は暑い」「外は雨が降っている
」で陳述(事実の表明)となります。
命題(概念)提示のみの文は言い切り感がなく続きを期待しますので、 最初の文脈提示などでも用いられます。「昔々、ある所にお爺さんとお婆さんがいました」
次の構文
- 命題構文:~が~
- 陳述構文:~は~
単純な話なんですけどねえ。。
「象は鼻が長い」全体を真偽対象「命題」ととらえる「形式論理学」的立場では 「~は~」を命題構文、「~が~」は「述語構文」と呼びたくなりますが、 話者の伝えたい文法心理から外れてしまうと考えています。
### 補足(蛇足)
「フグは食いたし、命は惜しし」というのは2つの陳述の矛盾を述べています。
「フグは食いたい」も「命は惜しい」もそれぞれは否定不能の陳述なのです。
「私がやりました」などというのは陳述ではないかと思うかも知れません。
しかし、それは例えば何か悪い事などが文脈としてあっての事です。
「ひどい」などというのと文法上同等です。
片方が一次的単語
で表される命題(概念)であり、片方が二次的に構成された命題(概念)だというだけなのです。
### 補足-2(蛇足-2)
言うまでもないと思いますが、 'は'はisではありません。"AはB"という陳述はAについてBが成り立つ と言っているだけです。
### 愚かな後知恵だったと反省(2010/3/17)
この記事を書いてからもう2年以上たちます。
その後、格助詞に関する記事を幾つか書くうちに、やはり「が」
は小学生の時に名付けた「命題構文」の方が「概念構文」より
よいと結論づけました。
多分"「命題」と言えば「は」の文だって命題たりうる"という
反論が浮かび、愚かな後知恵として「概念構文」としたのだと
思います。
「象は鼻が長い」は「鼻が長い」という命題が象について
成り立つことを表します。
### 愚かな後知恵だったと反省(2010/9/10)
タイトルを「概念構文(命題構文)と陳述構文」から
「命題構文(概念構文)と陳述構文:「が」と「は」」に変更
### 2012/1/10
文の構造図を追加
幾つか「概念」を「命題」に置き換え。
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以下、
当初、記事タイトル「概念構文と陳述構文」と名付けていたときの
補助記述;2年後に「命題構文と陳述構文」にタイトルを変えたため
不要になった
### さらに蛇足
実ははるか昔(小学5年生くらいだったと思う)この2つを
- 命題構文:~が~
- 陳述構文:~は~
今考えると命題構文というのはちょっとひねりすぎで 概念構文、あるいは概念構築構文の方が素直でしょう。 「命題構文」という名も捨てがたく思のですが。
なお、正確には当時は「命題的構文」「陳述的構文」としていました。 '的'を入れたのは自信の無さかな。
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